2021年05月07日00:41迷いなく。
「迷いなく。」 

おかげさまでホームページも14年目に突入しました。
誰しも14年生きていれば いろいろとありますから
私自身も いろいろと乗り越えて今に至るわけです。

長く続けていけることは
神様から「あなたはこれをやりなさい」、と言われていることなんだと思います。

物事は 長く続けることは簡単ではないからです。

試練は次々に訪れます。
それは誰もが経験することです。

けれど困難なことや試練があればこそ
自分が何をやりたいか どうしたいか、ということがよくわかるものです。

やりたいことを続けられることが
どれだけ有難いことなのか、
それは 続けられた人間でないとわからないことなのです。

身をもって 学ぶのです。

だから重ねた年月に なにひとつ無駄なことはありません。
年を取ることも 楽しめます。

後で ああすればよかった、こうすればよかった、と
悔やまれることもあります。
けれど過去に戻ってやり直すことはできません。

できないからこそ これからの自分が大事なのです。
これからの人生に生かさねばなりません。

時間だけは平等に与えられます。
とても有難いことです。

つねにそばにいてくださった方の優しさを思います。
感謝しかありません。

そして ずっと健康で今日まで来れました。
これ以上、何を望むことがありましょうか。


支えてくださった方々に
誇りにしていただけるよう
きちんと胸を張って生きて行きたいと思っています。

これからもよろしくお願いいたします。

(2016.04.17)   

2021年05月07日00:39執着が妨げになる
「執着が妨げになる。」
私も やっとこの年齢になって
いろんなことが受け入れられるようになりました。
これまでは 頭ではわかっていても
どこかで納得できなかったことが たくさんありました。

年を重ねないとわからないことがある、ということを実感します。

考えてみると 私の人生、
金銭的に困ったことはなく、
また 仕事運にも恵まれてきたように思います。

けれど そう思えるのは自分が
お金や仕事に執着していないから気にならない、
ということではないかなぁ、と思うのです。

もし 私ではない別の人がこの人生を生きていたら
これでは不足だと感じるかもしれません。

考えてみると 私は そういうことについては
淡々と受けとめたり、動いたりできるからではないかと
感じるようになりました。

人間、
これだけは頑張って結果を出したい、
これだけはやり遂げなくてはならない、
これだけは絶対失いたくない、 と
執着するものに限って

結果は出ず、
途中であきらめることとなり
手放すようになってしまうような結果になる、のではないかと
生きてきて 感じます。
そうなる理由は 執着するがゆえ、
自分を見失うからです。

これ以上頑張れない、
これ以上の事は出来ない、という
自分の限界のところまで頑張っても
そういう状態での極限状態では すべての歯車が狂ってしまい
報われることはありません。

そういう面で 私は大変未熟であった、
という気がします。

普通に 淡々と 動くことがいかに大事か、
そのことを最近とても考えますし、
前の自分より 成長できたような気がします。

すべては 経験したことによる学びがあればこそですが
色々な事が冷静に見える今、これからの人生は
私は それほど失敗することはないと考えています。

(2015.08.29)

2021年05月07日00:38新しい自分をめざして
「新しい自分をめざして」 

2013年も あっという間に過ぎてしまいました。

今年は五月に父が亡くなるという
自分にとっては とても大きな出来事がありました。

自分の存在について
あらためて考えさせられる時間が与えられました。

できるだけ静かに
出来るだけ何もせず
過ごしたいと思っていましたが

今年の半分は仕事で
上のステップに進むための
課題と試験勉強に 常に追われていました。

家族旅行で 
素晴らしい歴史遺産のあるフランスに行けたことも
とても自分の中では大きなことでしたが

常に何かに追われていて
まったく余裕がありませんでした。

いろんなことをこれまで
引きずって生きてまいりましたが
来年は
新しい自分に生まれ変わるような気持ちで
生きてみたいと考えています。

この一年もみなさま ありがとうございました。

あれもこれもが出来ない自分ですので
来年こそは 静かに
大切なみなさまに
心を伝えていける一年にしたいと思っています。
(2013.12.25)   


2021年05月07日00:37続けていればいつかたどり着けると信じられる
「続けていればいつかたどり着けると信じられる」

おかげさまで 私のホームページも丸9年、今日から10年目に突入しました。
正直、本当にうれしいです。
10年ひと昔といいますが
10年という歳月には
本当にいろんなことがあるということを
実感します。

けれど どんなことも乗り越えてこられたこと
幸せな気持ちでいっぱいです。

何より すばらしい出逢いに恵まれたこと
いつも大きな支えを
みなさまからいただきました。
なによりそれが 私にとっての宝になりました。

昔の私なら
なんでも嫌になったらやめればいい、と思っていました。
けれど そうではなくて
物事 こつこつと続けることが
私には足りない、
そう思って
物事を続けていくこと、を
常に私は目標としています。

続けていくには まず健康がなくてはなりません。
そして続けられる環境、
物事を途中で放り投げない精神力
気力、体力・・・。
「継続は力なり」という言葉が
ようやく わかってきます。

若い頃は 評価されることや
結果を出すことにこだわります。
そうすると 思うようにならないと
つくづく嫌になったり すべてを切ってしまいたくなります。

大切なのは 始めた以上は
責任がある、ということです。
たくさんの方の力を借りて
今ここに立っているわけです。

そのことを思うと
こつこつ 初心を忘れず
続ける努力をするのみです。

続けていれば
いつかたどり着きたい場所にたどり着ける。

重ねた年月は 財産ですし宝です。
こればかりは まぎれもなく揺るぎもなく
私を支えます。
けれど それは 自分の力ではなく
そばでお力添えをくださった
皆様方からの真心の賜です。
心から感謝しています。

みなさまありがとうございます。
どうぞこれからも よろしくおねがいします。
(2012.4.17)   

2021年05月07日00:35生きた姿に。
「生きた姿に。」

去年の8月に 肺癌とわかり入院して闘病生活をしていた義母が
今年の5月1日に天に召されてから3ヶ月近く経ちます。
たくさんの励ましと支えをいただきましたこと
心から御礼申し上げます。

強い強い義母が 最期まで病気と闘っていた姿
そしてたくさん話してくれた言葉
命と引き換えにして残してくれたものを
私は忘れまいと思っています。

義母の死で 悟ったことは
本当に それまでの考え方を覆すほどに大きなものでした。

人間は小さなことにしばられて生きてはいけない。
大きな視野に立って 全ての人が幸せになれることを
考えていくのが女性なのだ、
自分の人生、幸せは 誰に求めるものでもなく
自分で自分を幸せにしてあげることだ、と
義母は 私に教えてくれました。

命はいずれ終わりが来ます。
けれど受け継がれるものがある。
それが「命」であり、「心」である。

だから 大切な「想い」は 伝えていかなくてはいけない。
その想いを伝えるのは
ただただ「生きる姿」
それしかないように とても感じています。

そんなことを想うと
やはり 自分の周りの人が
自分を誇りに想っていただける自分になれるよう
日々のことをきちんと
心を込めて祈りを持って
やっていかなければならないと痛感します。

報われなかった過去も
伝わらなかった真心も 努力も
すべては自分が人として成長するための試練であったと
今は感謝できます。

人はきちんと評価され 報われる場所で
努力していくことも大切なことなのです。


義母はいつも私を守ってくれました。
いつも力の限りの応援をしてくれましたし
理解しようとしてくれました。
本当に尊敬できる強い女性でした。


命のバトンを 義母から渡されました。
バトンを渡していただける、ということも本当に有難く誇らしいことです。
託されたもの その心を
しっかりと受け継いで 次に渡していける人になりたいと想っています。

(2011.7.26)   

2021年05月07日00:33どんな状況にあろうとも
「どんな状況にあろうとも。」

人生には 目標が必要ですが
自分の人生のお手本となる人がそばにいてくださることほど
うれしいことはありません。
迷いなく まっすぐに進むことができる人生は幸せです。

2008年1月に 日本舞踊で名取りにしていただいてから
まだ2年しか経っていませんが
うれしいことに この度チャンスをいただけることになり
11月に師範の試験に挑戦します。

まだまだ 勉強することは山のようにありますし
もっともっと成長する必要があると いつも思っていますが
また一歩前に進める歓びと 感謝で胸はいっぱいです。

踊りが上手になるということももちろんですが
人としての生き方を学んでいるように思います。

人生には いろんなことが起きますが
起きるのが当然なのである。
だから何も動じることはない。
常に起きたことをきちんと受けとめて
選択肢を3つは自分の中で考えておく。

それは師匠に教わったことです。

そして師匠に教わったのは
人に対して 自慢することもしないし
人をうらやましがることはない。

おべんちゃらを言う必要もないし
自分が自分がと自己主張する必要もない。

人はそれぞれに
それぞれの人生をしっかりと生きているのだから
敬う気持ちと思いやりの心をを持って 
黙々と自分のすべきことをやっていけばいいのです。

人に求める前に 自分で変わればいい。
自分が変わらなければ何も変わらないのだから。

最近は日舞も 表現することがとても楽しい。

何をやっても 本質を知るまでに時間がかかるものだと
しみじみと思います。

受け継ぐ「心」があることが 本当にうれしい。
おかげさまで 人としての誇りに満ちて立っていられます。

どんな状況にあろうとも きっと乗り越えていける。
人と比べることもない、わが道を行けばいいのだと。

人間アレもコレもと欲張っても
そんなにできるわけがないけれど
これだけは やり遂げたいということが
いくつかある。
貫きたいことが見つかった今は
何の迷いもありません。

私の人生は
人にも恵まれ
なんて幸せな人生なんだろうと
神に感謝したい気持ちでいっぱい。
心から幸せを感じています。

自分が今 すべきことを
しっかりと心をこめてがんばります。
(2010.10.7)   

2021年05月07日00:31美しい形
「美しい形」
今日はお休みで朝から静かに花を眺めたりして過ごせました。
人生に起こることの意味、そして 私に投げかけられた言葉をたどることができました。

その中で感じることは 学び続けることが すべての救いになる、ということです。
「一生勉強」
生きている限り勉強だと思います。

私は日舞と生け花を習っています。
人としての「心」を学んでいるように思います。

私は何をしても一生懸命なのです。
全身全霊を注ぎ込んでも足りないと思ってしまう性格です。

けれど最近 よくわかりました。

それがいけないのです。

神様は私に素晴らしい師匠をつけてくださいました。
いつもお稽古のたびに 大切なことを話していただけます。
本当に 有難いことです。

今日はふと気がつきました。
掲示板にも書きましたが こちらにも自分が忘れないよう書いておきます。

生け花でも 花は三角形に入れていきます。
いくつもの三角形の組み合わせが美しい姿だということを学びます。

そういえば ピラミッドだって△の形の組み合わせです。
本当に美しい姿です。
そして神秘的なパワーもそこに存在します。

人間も きっと同じなのですよね。
美しいトライアングルが成り立つ人間関係の中では
人はとても穏やかに心満たされます。
きっとパワーが発揮される形なのです。

三角形が重なれば きれいなお星様もできあがり!
真ん中にいる人は とっても幸せできらきら輝きを放てることでしょう。

たとえば騎馬戦では 馬になる人は3人
しっかりと安定して 相手チームの大将にも挑んでいけます。
けれど下の人が二人、ましてや肩車で向かおうものなら
傍から見ても 悲しみをそそりますし 滑稽であったりします。

人生もまた
しっかりと美しいトライアングルを描きながら
人としての品格をもち
自分が出来ることを淡々と心をこめてやっていく。

人に感謝して大事にするということを
決して忘れてはいけないと しみじみ思いました。

学ぶことはすべて人生の大きなヒントになって
いろんなことを柔軟に考えるチャンスを与えてくれます。
これからも学び続けていきたいと思います。
(2008.09.14)    

2021年05月07日00:29師弟の関係
「師弟の関係」
世の中で一番長続きする関係は
やはり師弟の関係ではないかな〜、って考えるようになりました。
今日も日本舞踊の御稽古でしたが
日舞だけでなく 人としてのあり方を話していただけます。

師匠にも また師匠がおられるわけですが 
師に仕える「心」というものを
今日も話していただけました。

よく相手を立てる、という言葉を使いますが
「相手を立てる」という言葉が出てくること自体
自分が相手と同じ高さにいる気持ちで相手を見ている。
もしも相手が自分の師匠なら 
そんな言葉が出てくること自体間違いである。
「仕える」という言葉が出て当然なのだと。

「仕える」ということはどういうことか
今日も聴かせていただきましたが
三歩下がって師の影を踏まず、ということはどういうことなのか
ただただ 感動するばかりで
ものすごく考えさせられました。

人間というものは 引く、ということがとても難しい。
「私が、私が」と すぐに自己主張する。
こういうところに人としての品格がでるのだと
しみじみと痛感します。

師匠は人に何を言われても
それがどんなに不本意で つらい言葉であっても
決して言い訳などせず、黙って何も言わないことだ、と 私を諭されます。

「なにもわかってもらえないとしても
 それはそれでいいじゃないですか。
 それを言ってどうなるんですか。

 自分でわかっていればいいんです。
 人に意見ができるほど自分は立派な人間ですか?
 そういう考え方もあるんだと受けとめればいいんです。
 人に認めてもらおうなんて考える必要などないのですよ。」
・・・・と。

なかなか それは難しいことです。
とても苦しみます。

でも私も最近 少しずつ 物事にこだわらなくなり
冷静に受け止め、考え、判断することができる自分になれました。
自分が愚かだと悟ることも 前に進むためには必要なのです。

日々 お勉強させていただいてます。
素晴らしい師匠に 
いろんなことを教えていただける私は本当に幸せです。

学び続ける人生にします。
(2008.08.26)   



2021年05月07日00:27目に見えない力に導かれて
「目に見えない力に導かれて」
私は去年 本当に苦しい時に 何もかもが壊れ
すべてから見放されたと思ったときがありました。

もうどうしようもなく辛い状況になり もがいて苦しんでいる時に
この時とばかりに 私を捨てていかれた方もありました。
私は守られて生きてきた人間で 本当に甘えていました。
これまでこんな辛い思いをしたことはありませんでした。
けれど どんな言葉を貰っても 言い訳は決してしませんでした。
これほどのことをされた意味を自分に問いかけました。
反省もしましたし つらいけれどすべて受けとめました。

その時から私は
ただただ 私を許してくださって そばにいてくださる方へ
感謝して生きることだけを考えました。
虚しさがいつも自分を襲いました。
けれどそれも私の人生だと受けとめました。

それからはもう自分と向き合い必死でした。
本当は苦しくて苦して辛かった。
消えてしまえたらどんなに楽だろうと思いました。

けれど不思議なもので そういう時
接客コンクールで事業部の代表になり カンパニー大会に出場したり
日舞の名取り試験のお話しがあったりで
必死で取り組める大きなチャレンジのチャンスが与えられました。

1月の終わりには日舞の名取りの試験を受けることができ
本当におかげさまで 名取りになることが出来ました。

名取りになれて 自分の日舞の師匠とお話しさせていただけたとき
もう本当にどうしようもなく泣けて泣けて
師匠に お礼を言いながら 涙と鼻水とが止まりませんでした。
恥ずかしいと思いつつ 感情を抑えることができず
泣きじゃくりながら「ありがとうございます」と言っている自分がいました。

師匠はどんな時も ずっと私のそばで教え諭してくださいました。
根気強くいつも大切な言葉を言い続けてくださいました。
こんな私でも必要としてくださいました。

間違った時は叱ってくださり
そしていつも温かく見守り 力強く導いてくださいました。
師匠(おおせんせい)が亡くなられた後 師匠の心を受けつがれた
今の師匠が 私をずっと育ててくださいました。
何の見返りも求めず ただただ与え続けてくださったことを思うと
また胸が熱くなります。

親以外にこれほどまでに 私の成長を心から願い 
喜んでくださる方がいることを知りました。
あまりにも有難く幸せすぎることです。
本当に生きていてよかった、と心の底から涙がこぼれてしまいます。

受けつがれていくものは「心」です。
本当にそう思えます。

そして大切なものは ちゃんと私の中にあるのです。
決して決して見放されてなどいないのです。
何も失ってもいなかったのです。

神さまはちゃんと見ていてくださいます。
そこにはいつも温かいご慈悲の手がさしのべられているのです。

愛されて生きてきたことに感謝します。

ただただ感謝して 自分ができることを
心をこめてやっていければ それで十分なのです。
いつ何が起きても決して悔いもありません。

やっとやっと 師匠が言い続けてくださった言葉の意味が
わかりかけてきた今日この頃です。

「初志貫徹」
求めるものは自分自身に。

すべては感謝の心で。
(2008.02.22)    

2021年05月07日00:24失うことの意味
「失うことの意味」
私の人生は いつも幸せの絶頂で失意のどん底に落ちることが多く
それゆえ あまりに幸せな状態が続くと こわくてこわくてどうしようもなく
そういうときこそ冷静に・・と自分を戒めて過ごすのですが
どういうわけか 幸せが大きければ大きいほど 
おそろしいほどの絶望を味わう人生になっており
今考えると 
ただ 静かに平和にすごせることこそが
私が心穏やかに傷つかず生きていける方法だと考えるようになりました。
正直これほどまでに辛く悲しく苦しい想いをしたことはありませんでした。
今自分が生きているのが不思議に思えるほどです。

けれど 私は生きていなければなりません。
すべてを一人で乗り越えていくことが
すべてに対する私の責任です。

私は 師と仰ぐ 日舞の先生に問いかけました。
 「私は どうしても これだけは失いたくないと思っていたものを失ってしまいました。
  どうしてなのでしょう。」
すると 先生は 静かにおっしゃいました。
 「それは あなたの代わりは いくらでもいた、ということです。」

 「代わりが・・・・・(絶句)」

私は 自分が必要とされることをいつも望んで生きていました。
けれど結果は悲しいものでした。

失うことにも意味があります。
それを考えることはとても辛いことです。
けれど逃げていてはいけないのです。
それを乗り越えて生きていかなくてはなりません。

すべての出逢いは 偶然でなく必然です。
そしてその中に学びがあります。
生かされている意味が そこにあるように想います。

私は私の想いを最後まで貫きました。
最初から最後まで 私はなにひとつ変わりませんでした。
だから もう十分なのです。
最後まで 貫けたことを感謝します。

(2007.9.29)