のりえの音楽の輪・別館

言葉は憧れ、言葉は人生。そして、言葉は心を解き放す自由の翼です。

2021年05月

生きていれば色々と経験する。

ホームページの めっせーじに書いた記事を
こちらにまとめることにいたしました。
****************

「生きていれば色々と経験する。」 

おかげさまで4/17で ホームページも丸18年になります。
19年目に突入です。
有難いことだと思っております。

生きていれば 信じられないようなことが起こるものですが
去年は 新型コロナウィルスが出てきて
世界中に広がり恐怖の日々でした。
自粛の日々で 衝撃的だったことを思い出します。

今年はさらに変異種が出て
ものすごい感染者の数が出ているのに
人々の感覚は麻痺してしまったのか
自粛になりませんので 本当にいつになったら
終息するのだろうと 怖さを感じます。

自粛の日々でしたが 去年は私は
レース編みで新境地が開けましたので
夢中で レースを編んで編んで編みまくりまして
意外に充実していました。

しかし 今年は正直 疲れが出ています。
いつになったら終息するのでしょうか。

いろんなことで試され続ける日々ですが
最後は人格、人間力がものを言うのだと思いますから
コツコツと真面目に
今すべきことをするのみなのかなぁと思います。
こんな世の中ですが とにかく 
私はここにいて ホームページは続けたいと考えています。
どうぞ これからもよろしくお願いいたします。  

(2021.4.17)   

目に見えないものを。

「目に見えないものを。」 

2018年の漢字は「災」だそうですが
こんな言葉が今年の漢字になるなんて ほんとうに悲しいことだと感じます。
それほどに災害の多い一年だったので
試練の多い一年という印象があります。

来年年号も変わるとのことで
終わりの一年だったわけですが
私自身にとっても そのことを実感するような一年でした。

出逢いがあれば別れがあり
始まりがあれば終わりがある。

けれど終わりは 始まりでもある。

終わるからこそ わかることもある。
今になって わかったこともいっぱいある。

今年特に考えたことは
人が亡くなったあと 魂はどこに行くのだろう、ということです。

今年は 私は空を見上げることが多かったように思います。
青空のはるか彼方に微笑む人がいてくれる。

もしかしたら そばにいてくれるのかもしれない。

目には見えないけれど 感じるものを大事にしたい。

残りの人生、誇り高く胸を張って
優しく生きていけたらと 考える日々です。


(2018.12.16)   

こんなに続けられるとは思わなかった

「こんなに続けられるとは思わなかった。」 

おかげさまで ホームページも 丸15年続けて来れました。
この日を迎えるまでの長い年月の中では
もうダメだ、もう続けられない、と
思うことも何度かありましたが
奇跡的に ページを閉じることなく 15年続けてこれました。

何事もそうですが
続けるということは容易ではありません。

長い年月の中では
うれしい出逢いも つらい別れも
幾度となく経験しました。

もしもすべてが 神様の決められたことだとしたら
私はこれまで
何が何でも失いたくないことも
神さまは取り上げられてしまいました。

けれど このページだけは 取り上げられることなく
ずっと私の手元にありました。

その意味を考える日々です。

無我夢中で駆け抜けた日々でしたが
未熟さゆえ
目の前のことも見失う時期もありました。

絶望もありました。

けれど
たくさんの方より お励ましと優しさをいただき
今日まで このページを続けて来れました。
心から感謝しております。

集う人の 憩いの場所になれますよう
今後とも努力してまいります。
これからも 元気である限り続けてまいります。

よろしくお願いいたします。
(2018.4.17)   

静かに流れにまかせて。

「静かに流れにまかせて。」 

たぶん ひと言で言うと 欲がなくなったんだと思います。
現実をやっと受け止められた、のかもしれませんし、
この人生はここまでだ、と感じたのかもしれませんし
背中に生えた羽根を仕舞い込んだ、という気もしますが
目の前のやるべきことを淡々とやろうと思うようになった、
ということだと思います。

まず 今年は 顎が外れる、ということが
1/3病院に駆け込んで以来なくなりました。

それから 仕事が本当に順調で
ミスをすることがほとんどなかったものですから
安定の一年でした。

今年の漢字は「北」ということでしたが
私の今年の漢字一文字は「凪」かな、と思っています。

こんなに静かで
こんなに穏やかで
こんなに平和で
こんなに変化のない一年というのは
多分生きているうちで 何度もないでしょう。

そう思えば 今年のこの一年は
人生の中でも屈指の幸せな一年と言えるのでしょう。

私が動かなければ
こんなにも平和なのです。
そのことを悟ったのです。

それゆえ 私は外に出ることをしなかったのです。

流れにまかせて 静かに流れた一年でしたが
正直 来年は 少しだけ
外に気持ちを向けていきたいと考えています。

平和と自由のバランスを取ながら。
(2017.12.15)  

運気に逆らわない。

「運気に逆らわない。」 

私は今年は とにかく真面目に生きたと思っています。

私の真面目、という定義は、
自分のやりたいようにやらず、好きなように動かず、
新しいことを始めず、おもしろいことに飛びつかず、
現状維持に心掛け、慎ましく生き、
常に自粛して 周りの人に合わせて行動する、ということを言います。

私は 今年は それを実行した年だったと思っています。
去年は何をやっても上手くいき、ご褒美いっぱいの一年でした。
その調子で今年も動いていたのですが
途中で 運気が低迷していることに気づきました。

それからは 神社通いと
あとは とにかく真面目に、
静かに動くことを心がけました。

色々と経験して思ったのですが
あまりにも幸せなことが起きる時は
またその逆へのスイッチを押した時だと自覚しないといけません。

強い光を浴びるときは
同時に闇を抱えてしまっている、ということを
こうして長く生きていれば知ることとなります。

案外人生は 誰に対しても平等なのだと感じます。

何もない、ということは
ある意味とても幸せな状態ということなのです。

私の今年の一文字を考えますと
「外」
この一文字です。

今年は 一時期 何度も顎が外れるというアクシデントもありました。
生きていると 信じられないことも起きます。
何度も病院に飛び込みました。

宝くじを買い続けましたが外れました。

そして「外される」、ということも経験し、

自粛の日々でしたので
蚊帳の外、という気分もありました。

自分の想いから外れて とにかく真面目に生きましたが
厳しいことばかりが起こる一年でした。

けれど すべては 自分の起した行動の結果が出ているのです。
そのことを胆に銘じたいと思います。
だから 伝えたいこともありましたが
ぐっと 呑み込みました。

私が 私自身を満たせないのに
他人まで満たすことはできません。
すべては 自分自身。
責任はすべて自分にあります。

それでも病気もせず、
家庭と仕事は平穏でした。
それだけでも感謝しなくては、と思います。

来年は楽しい年にしたいです。

しくじっても 許してもらえる自分になれますように。

来年は 少し肩の力を抜いていきましようか。
(2016.12.19)   

迷いなく。

「迷いなく。」 

おかげさまでホームページも14年目に突入しました。
誰しも14年生きていれば いろいろとありますから
私自身も いろいろと乗り越えて今に至るわけです。

長く続けていけることは
神様から「あなたはこれをやりなさい」、と言われていることなんだと思います。

物事は 長く続けることは簡単ではないからです。

試練は次々に訪れます。
それは誰もが経験することです。

けれど困難なことや試練があればこそ
自分が何をやりたいか どうしたいか、ということがよくわかるものです。

やりたいことを続けられることが
どれだけ有難いことなのか、
それは 続けられた人間でないとわからないことなのです。

身をもって 学ぶのです。

だから重ねた年月に なにひとつ無駄なことはありません。
年を取ることも 楽しめます。

後で ああすればよかった、こうすればよかった、と
悔やまれることもあります。
けれど過去に戻ってやり直すことはできません。

できないからこそ これからの自分が大事なのです。
これからの人生に生かさねばなりません。

時間だけは平等に与えられます。
とても有難いことです。

つねにそばにいてくださった方の優しさを思います。
感謝しかありません。

そして ずっと健康で今日まで来れました。
これ以上、何を望むことがありましょうか。


支えてくださった方々に
誇りにしていただけるよう
きちんと胸を張って生きて行きたいと思っています。

これからもよろしくお願いいたします。

(2016.04.17)   

執着が妨げになる

「執着が妨げになる。」
私も やっとこの年齢になって
いろんなことが受け入れられるようになりました。
これまでは 頭ではわかっていても
どこかで納得できなかったことが たくさんありました。

年を重ねないとわからないことがある、ということを実感します。

考えてみると 私の人生、
金銭的に困ったことはなく、
また 仕事運にも恵まれてきたように思います。

けれど そう思えるのは自分が
お金や仕事に執着していないから気にならない、
ということではないかなぁ、と思うのです。

もし 私ではない別の人がこの人生を生きていたら
これでは不足だと感じるかもしれません。

考えてみると 私は そういうことについては
淡々と受けとめたり、動いたりできるからではないかと
感じるようになりました。

人間、
これだけは頑張って結果を出したい、
これだけはやり遂げなくてはならない、
これだけは絶対失いたくない、 と
執着するものに限って

結果は出ず、
途中であきらめることとなり
手放すようになってしまうような結果になる、のではないかと
生きてきて 感じます。
そうなる理由は 執着するがゆえ、
自分を見失うからです。

これ以上頑張れない、
これ以上の事は出来ない、という
自分の限界のところまで頑張っても
そういう状態での極限状態では すべての歯車が狂ってしまい
報われることはありません。

そういう面で 私は大変未熟であった、
という気がします。

普通に 淡々と 動くことがいかに大事か、
そのことを最近とても考えますし、
前の自分より 成長できたような気がします。

すべては 経験したことによる学びがあればこそですが
色々な事が冷静に見える今、これからの人生は
私は それほど失敗することはないと考えています。

(2015.08.29)

新しい自分をめざして

「新しい自分をめざして」 

2013年も あっという間に過ぎてしまいました。

今年は五月に父が亡くなるという
自分にとっては とても大きな出来事がありました。

自分の存在について
あらためて考えさせられる時間が与えられました。

できるだけ静かに
出来るだけ何もせず
過ごしたいと思っていましたが

今年の半分は仕事で
上のステップに進むための
課題と試験勉強に 常に追われていました。

家族旅行で 
素晴らしい歴史遺産のあるフランスに行けたことも
とても自分の中では大きなことでしたが

常に何かに追われていて
まったく余裕がありませんでした。

いろんなことをこれまで
引きずって生きてまいりましたが
来年は
新しい自分に生まれ変わるような気持ちで
生きてみたいと考えています。

この一年もみなさま ありがとうございました。

あれもこれもが出来ない自分ですので
来年こそは 静かに
大切なみなさまに
心を伝えていける一年にしたいと思っています。
(2013.12.25)   

続けていればいつかたどり着けると信じられる

「続けていればいつかたどり着けると信じられる」

おかげさまで 私のホームページも丸9年、今日から10年目に突入しました。
正直、本当にうれしいです。
10年ひと昔といいますが
10年という歳月には
本当にいろんなことがあるということを
実感します。

けれど どんなことも乗り越えてこられたこと
幸せな気持ちでいっぱいです。

何より すばらしい出逢いに恵まれたこと
いつも大きな支えを
みなさまからいただきました。
なによりそれが 私にとっての宝になりました。

昔の私なら
なんでも嫌になったらやめればいい、と思っていました。
けれど そうではなくて
物事 こつこつと続けることが
私には足りない、
そう思って
物事を続けていくこと、を
常に私は目標としています。

続けていくには まず健康がなくてはなりません。
そして続けられる環境、
物事を途中で放り投げない精神力
気力、体力・・・。
「継続は力なり」という言葉が
ようやく わかってきます。

若い頃は 評価されることや
結果を出すことにこだわります。
そうすると 思うようにならないと
つくづく嫌になったり すべてを切ってしまいたくなります。

大切なのは 始めた以上は
責任がある、ということです。
たくさんの方の力を借りて
今ここに立っているわけです。

そのことを思うと
こつこつ 初心を忘れず
続ける努力をするのみです。

続けていれば
いつかたどり着きたい場所にたどり着ける。

重ねた年月は 財産ですし宝です。
こればかりは まぎれもなく揺るぎもなく
私を支えます。
けれど それは 自分の力ではなく
そばでお力添えをくださった
皆様方からの真心の賜です。
心から感謝しています。

みなさまありがとうございます。
どうぞこれからも よろしくおねがいします。
(2012.4.17)   

生きた姿に。

「生きた姿に。」

去年の8月に 肺癌とわかり入院して闘病生活をしていた義母が
今年の5月1日に天に召されてから3ヶ月近く経ちます。
たくさんの励ましと支えをいただきましたこと
心から御礼申し上げます。

強い強い義母が 最期まで病気と闘っていた姿
そしてたくさん話してくれた言葉
命と引き換えにして残してくれたものを
私は忘れまいと思っています。

義母の死で 悟ったことは
本当に それまでの考え方を覆すほどに大きなものでした。

人間は小さなことにしばられて生きてはいけない。
大きな視野に立って 全ての人が幸せになれることを
考えていくのが女性なのだ、
自分の人生、幸せは 誰に求めるものでもなく
自分で自分を幸せにしてあげることだ、と
義母は 私に教えてくれました。

命はいずれ終わりが来ます。
けれど受け継がれるものがある。
それが「命」であり、「心」である。

だから 大切な「想い」は 伝えていかなくてはいけない。
その想いを伝えるのは
ただただ「生きる姿」
それしかないように とても感じています。

そんなことを想うと
やはり 自分の周りの人が
自分を誇りに想っていただける自分になれるよう
日々のことをきちんと
心を込めて祈りを持って
やっていかなければならないと痛感します。

報われなかった過去も
伝わらなかった真心も 努力も
すべては自分が人として成長するための試練であったと
今は感謝できます。

人はきちんと評価され 報われる場所で
努力していくことも大切なことなのです。


義母はいつも私を守ってくれました。
いつも力の限りの応援をしてくれましたし
理解しようとしてくれました。
本当に尊敬できる強い女性でした。


命のバトンを 義母から渡されました。
バトンを渡していただける、ということも本当に有難く誇らしいことです。
託されたもの その心を
しっかりと受け継いで 次に渡していける人になりたいと想っています。

(2011.7.26)   

どんな状況にあろうとも

「どんな状況にあろうとも。」

人生には 目標が必要ですが
自分の人生のお手本となる人がそばにいてくださることほど
うれしいことはありません。
迷いなく まっすぐに進むことができる人生は幸せです。

2008年1月に 日本舞踊で名取りにしていただいてから
まだ2年しか経っていませんが
うれしいことに この度チャンスをいただけることになり
11月に師範の試験に挑戦します。

まだまだ 勉強することは山のようにありますし
もっともっと成長する必要があると いつも思っていますが
また一歩前に進める歓びと 感謝で胸はいっぱいです。

踊りが上手になるということももちろんですが
人としての生き方を学んでいるように思います。

人生には いろんなことが起きますが
起きるのが当然なのである。
だから何も動じることはない。
常に起きたことをきちんと受けとめて
選択肢を3つは自分の中で考えておく。

それは師匠に教わったことです。

そして師匠に教わったのは
人に対して 自慢することもしないし
人をうらやましがることはない。

おべんちゃらを言う必要もないし
自分が自分がと自己主張する必要もない。

人はそれぞれに
それぞれの人生をしっかりと生きているのだから
敬う気持ちと思いやりの心をを持って 
黙々と自分のすべきことをやっていけばいいのです。

人に求める前に 自分で変わればいい。
自分が変わらなければ何も変わらないのだから。

最近は日舞も 表現することがとても楽しい。

何をやっても 本質を知るまでに時間がかかるものだと
しみじみと思います。

受け継ぐ「心」があることが 本当にうれしい。
おかげさまで 人としての誇りに満ちて立っていられます。

どんな状況にあろうとも きっと乗り越えていける。
人と比べることもない、わが道を行けばいいのだと。

人間アレもコレもと欲張っても
そんなにできるわけがないけれど
これだけは やり遂げたいということが
いくつかある。
貫きたいことが見つかった今は
何の迷いもありません。

私の人生は
人にも恵まれ
なんて幸せな人生なんだろうと
神に感謝したい気持ちでいっぱい。
心から幸せを感じています。

自分が今 すべきことを
しっかりと心をこめてがんばります。
(2010.10.7)   

美しい形

「美しい形」
今日はお休みで朝から静かに花を眺めたりして過ごせました。
人生に起こることの意味、そして 私に投げかけられた言葉をたどることができました。

その中で感じることは 学び続けることが すべての救いになる、ということです。
「一生勉強」
生きている限り勉強だと思います。

私は日舞と生け花を習っています。
人としての「心」を学んでいるように思います。

私は何をしても一生懸命なのです。
全身全霊を注ぎ込んでも足りないと思ってしまう性格です。

けれど最近 よくわかりました。

それがいけないのです。

神様は私に素晴らしい師匠をつけてくださいました。
いつもお稽古のたびに 大切なことを話していただけます。
本当に 有難いことです。

今日はふと気がつきました。
掲示板にも書きましたが こちらにも自分が忘れないよう書いておきます。

生け花でも 花は三角形に入れていきます。
いくつもの三角形の組み合わせが美しい姿だということを学びます。

そういえば ピラミッドだって△の形の組み合わせです。
本当に美しい姿です。
そして神秘的なパワーもそこに存在します。

人間も きっと同じなのですよね。
美しいトライアングルが成り立つ人間関係の中では
人はとても穏やかに心満たされます。
きっとパワーが発揮される形なのです。

三角形が重なれば きれいなお星様もできあがり!
真ん中にいる人は とっても幸せできらきら輝きを放てることでしょう。

たとえば騎馬戦では 馬になる人は3人
しっかりと安定して 相手チームの大将にも挑んでいけます。
けれど下の人が二人、ましてや肩車で向かおうものなら
傍から見ても 悲しみをそそりますし 滑稽であったりします。

人生もまた
しっかりと美しいトライアングルを描きながら
人としての品格をもち
自分が出来ることを淡々と心をこめてやっていく。

人に感謝して大事にするということを
決して忘れてはいけないと しみじみ思いました。

学ぶことはすべて人生の大きなヒントになって
いろんなことを柔軟に考えるチャンスを与えてくれます。
これからも学び続けていきたいと思います。
(2008.09.14)    

師弟の関係

「師弟の関係」
世の中で一番長続きする関係は
やはり師弟の関係ではないかな〜、って考えるようになりました。
今日も日本舞踊の御稽古でしたが
日舞だけでなく 人としてのあり方を話していただけます。

師匠にも また師匠がおられるわけですが 
師に仕える「心」というものを
今日も話していただけました。

よく相手を立てる、という言葉を使いますが
「相手を立てる」という言葉が出てくること自体
自分が相手と同じ高さにいる気持ちで相手を見ている。
もしも相手が自分の師匠なら 
そんな言葉が出てくること自体間違いである。
「仕える」という言葉が出て当然なのだと。

「仕える」ということはどういうことか
今日も聴かせていただきましたが
三歩下がって師の影を踏まず、ということはどういうことなのか
ただただ 感動するばかりで
ものすごく考えさせられました。

人間というものは 引く、ということがとても難しい。
「私が、私が」と すぐに自己主張する。
こういうところに人としての品格がでるのだと
しみじみと痛感します。

師匠は人に何を言われても
それがどんなに不本意で つらい言葉であっても
決して言い訳などせず、黙って何も言わないことだ、と 私を諭されます。

「なにもわかってもらえないとしても
 それはそれでいいじゃないですか。
 それを言ってどうなるんですか。

 自分でわかっていればいいんです。
 人に意見ができるほど自分は立派な人間ですか?
 そういう考え方もあるんだと受けとめればいいんです。
 人に認めてもらおうなんて考える必要などないのですよ。」
・・・・と。

なかなか それは難しいことです。
とても苦しみます。

でも私も最近 少しずつ 物事にこだわらなくなり
冷静に受け止め、考え、判断することができる自分になれました。
自分が愚かだと悟ることも 前に進むためには必要なのです。

日々 お勉強させていただいてます。
素晴らしい師匠に 
いろんなことを教えていただける私は本当に幸せです。

学び続ける人生にします。
(2008.08.26)   

目に見えない力に導かれて

「目に見えない力に導かれて」
私は去年 本当に苦しい時に 何もかもが壊れ
すべてから見放されたと思ったときがありました。

もうどうしようもなく辛い状況になり もがいて苦しんでいる時に
この時とばかりに 私を捨てていかれた方もありました。
私は守られて生きてきた人間で 本当に甘えていました。
これまでこんな辛い思いをしたことはありませんでした。
けれど どんな言葉を貰っても 言い訳は決してしませんでした。
これほどのことをされた意味を自分に問いかけました。
反省もしましたし つらいけれどすべて受けとめました。

その時から私は
ただただ 私を許してくださって そばにいてくださる方へ
感謝して生きることだけを考えました。
虚しさがいつも自分を襲いました。
けれどそれも私の人生だと受けとめました。

それからはもう自分と向き合い必死でした。
本当は苦しくて苦して辛かった。
消えてしまえたらどんなに楽だろうと思いました。

けれど不思議なもので そういう時
接客コンクールで事業部の代表になり カンパニー大会に出場したり
日舞の名取り試験のお話しがあったりで
必死で取り組める大きなチャレンジのチャンスが与えられました。

1月の終わりには日舞の名取りの試験を受けることができ
本当におかげさまで 名取りになることが出来ました。

名取りになれて 自分の日舞の師匠とお話しさせていただけたとき
もう本当にどうしようもなく泣けて泣けて
師匠に お礼を言いながら 涙と鼻水とが止まりませんでした。
恥ずかしいと思いつつ 感情を抑えることができず
泣きじゃくりながら「ありがとうございます」と言っている自分がいました。

師匠はどんな時も ずっと私のそばで教え諭してくださいました。
根気強くいつも大切な言葉を言い続けてくださいました。
こんな私でも必要としてくださいました。

間違った時は叱ってくださり
そしていつも温かく見守り 力強く導いてくださいました。
師匠(おおせんせい)が亡くなられた後 師匠の心を受けつがれた
今の師匠が 私をずっと育ててくださいました。
何の見返りも求めず ただただ与え続けてくださったことを思うと
また胸が熱くなります。

親以外にこれほどまでに 私の成長を心から願い 
喜んでくださる方がいることを知りました。
あまりにも有難く幸せすぎることです。
本当に生きていてよかった、と心の底から涙がこぼれてしまいます。

受けつがれていくものは「心」です。
本当にそう思えます。

そして大切なものは ちゃんと私の中にあるのです。
決して決して見放されてなどいないのです。
何も失ってもいなかったのです。

神さまはちゃんと見ていてくださいます。
そこにはいつも温かいご慈悲の手がさしのべられているのです。

愛されて生きてきたことに感謝します。

ただただ感謝して 自分ができることを
心をこめてやっていければ それで十分なのです。
いつ何が起きても決して悔いもありません。

やっとやっと 師匠が言い続けてくださった言葉の意味が
わかりかけてきた今日この頃です。

「初志貫徹」
求めるものは自分自身に。

すべては感謝の心で。
(2008.02.22)    

失うことの意味

「失うことの意味」
私の人生は いつも幸せの絶頂で失意のどん底に落ちることが多く
それゆえ あまりに幸せな状態が続くと こわくてこわくてどうしようもなく
そういうときこそ冷静に・・と自分を戒めて過ごすのですが
どういうわけか 幸せが大きければ大きいほど 
おそろしいほどの絶望を味わう人生になっており
今考えると 
ただ 静かに平和にすごせることこそが
私が心穏やかに傷つかず生きていける方法だと考えるようになりました。
正直これほどまでに辛く悲しく苦しい想いをしたことはありませんでした。
今自分が生きているのが不思議に思えるほどです。

けれど 私は生きていなければなりません。
すべてを一人で乗り越えていくことが
すべてに対する私の責任です。

私は 師と仰ぐ 日舞の先生に問いかけました。
 「私は どうしても これだけは失いたくないと思っていたものを失ってしまいました。
  どうしてなのでしょう。」
すると 先生は 静かにおっしゃいました。
 「それは あなたの代わりは いくらでもいた、ということです。」

 「代わりが・・・・・(絶句)」

私は 自分が必要とされることをいつも望んで生きていました。
けれど結果は悲しいものでした。

失うことにも意味があります。
それを考えることはとても辛いことです。
けれど逃げていてはいけないのです。
それを乗り越えて生きていかなくてはなりません。

すべての出逢いは 偶然でなく必然です。
そしてその中に学びがあります。
生かされている意味が そこにあるように想います。

私は私の想いを最後まで貫きました。
最初から最後まで 私はなにひとつ変わりませんでした。
だから もう十分なのです。
最後まで 貫けたことを感謝します。

(2007.9.29)

教えていただいたことをいつも胸に。

教えていただいたことをいつも胸に。

実は 先月 私の習っている日舞の師匠(おおせんせい)が亡くなられました。
私は 今まで身近な人を失ったことがなかったため
本当にショックは大きく いろいろと現実を受け止めるまでに時間がかかりました。
このことを口にすることも辛くてできませんでした。

つい先日まで お元気で
しゃきっとしていらっしゃるお師匠さんを拝見したのに・・・と 
とても信じられない想いでしたので 
葬儀の日 お師匠の胸元にお花を手向けたときは
本当に泣けて泣けてどうしようもありませんでした。
大切な人を失うということは こんなにも悲しく虚しいものなのかとやりきれない想いです。
あまりにも認めたくない現実だったからです。

「変わる素晴らしさ、変わらない素晴らしさ」(2003.5.23)でも書いていますが
師匠の言葉は本当に胸に沁みるものでした。
当時は何を言われても涙が出てしまう私でした。
今しみじみ お師匠が私に投げかけてくださった言葉をかみしめています。
日舞をもう一度習いたいと 先生を捜して こうしてお師匠とご縁があったことを感謝せずにはいられません。
途中からお師匠のお弟子さんへと教えていただく方は変わりましたが
お師匠に直接ご指導していただいたことがあるというのは
今思うとあまりにもうれしく誇れることです。
身に余る光栄としか言いようがありません。

お師匠はいつもたくさんのお弟子さんのことを考えていらっしゃいましたし
踊りのことをいつも考えていらっしゃいました。
あまりにも偉大で 素晴らしい師匠でした。

最後にお逢いした時の お師匠の言葉を思い出します。

「きものを着るときは きものにも "今日はかわいく着せてちょうだいね"って
 話しかけてあげるのですよ。
 着てあげてる、ではないのですよ。
 私はいつもそうしています。
 そういう心が大切だと思うのですよ。」
 そう言って 少女のような表情をされたことを今も忘れられません。
 
人生の師と仰ぐ人を 失うということは なんとも虚しく悲しいものですが
どうか見守ってくださいと心の中で手を合わせ
これからの日々 背すじを伸ばして しゃんとして生きて行きたいと思っています。

そして今想うのです。
今 自分にできることを精一杯、悔いを残さずに・・・と。

(2006.11.25)

自分のために 忘れてはいけない言葉。

 自分のために 忘れてはいけない言葉。

自分のために
 決して忘れてはいけない言葉をここに書きます

  人生は信じられないようなうれしいことがあれば
それとおなしくらい苦しい事も起こってきます。
絶頂と絶望は いつも隣り合わせなのです

 私が私でいるために
 しっかりと立っているために
 忘れてはならない大切な言葉を
 自分のために書きます。

    「日舞の先生の私への言葉」

「一生懸命がんばるチャンスを与えていただけただけいいじゃないですか
 それだけでも感謝感謝なのですよ。
 あなたは人に評価されたいからがんばったのですか?
 そうではないでしょう。
 今はわからなくても きっとわかっていただける時がきます。
 いえ わからないままであったとしても いいではないですか。

 背中を向けたら終わりです。
 口にすれば それで終わります。
 けれど それは本当に最後の最後に言うのです。

  今までやってきたことは 一人でできたことではないでしょう?
家族にも 周りの人にも協力していただけたからこそ
続けてこられてのですよね?
やめてしまったらその人たちに対しても申し訳ないじゃないですか。

 ならば 黙って淡々と自分のやるべきことをするのです。
 それでいいではないてすか。

 自分が自分を褒めてあげられれば それでいいではないですか。
 それで充分なのですよ。
 感謝、感謝なのですよ。

(2006.05.26)

ずっと守られてきたことを

〜ずっと守られてきたことを〜
私も日舞を始めて丸7年になります。
毎週火曜日のお稽古から 私の一週間は始まっているように思っています。

踊りだけでなく 子育てについてや着付けについて、
礼儀や 人生についてまで 色んな話を聴かせていただけます。

おもしろいもので 踊りにも性格が出てしまうようです。
私の場合
『この私を見てちょうだい!!』・・・というような踊りになっていたことに
7年やってみてやっと自分が見えてきて
懸命に今 変わる努力をしているところです。

まだまだ果てしない道の途中です。

今回もいろんなお話を先生にしていただく中で
こんなことを言っていただけました。

 「あなたは小さい頃から
 車に酔ってどこにもいけないから・・・とかで
 あなたのことを
 みんなが一生懸命守ってきたのでしょう
 でも
 もう自分のことは自分で守らないといけないんですよ
 そして今度は
 あなたがみんなを守ってあげなければならないのですよ。」
 と。

あぁ そうだったのか
守られていることに甘えていたんだ。
なんということでしょう。

生きている限り勉強です。
学ぶことの出来る人生は素晴らしい。
私も 7年続けてきた日舞ですので
これからは資格を取ることを目指してがんばってみようと心に決めました。

目標があるってうれしいことです。
私らしい人生を貫きます。
(2006.03.08)

求めるものは

〜求めるものは〜
無我夢中で進む日々ですが いつも気がつくと壁に突き当たっている自分がいます。
自分の弱さを痛感します。

自分らしくと言い聞かせながら いつも自分を見失います。
マイペースといいながら 気がつけば周りのペースについていくのが必死で
息も上がり 倒れそうになっている自分がいます。
自分らしささえ 分からなくなっている自分がいます。


自分のことを わかってほしい。
必要とされたい。
私を認めてほしい。
受け入れられたい。

気がつけば そんな気持ちでいっぱいになっている自分がいるのです。
けれどその想いは たいてい空回りします。
きっとそう思う自分に
どこか見返りを求める気持ちがあるからでしょう。


そんな時
いつも助けられるのは 友人からの温かい言葉です。
なんとか前を向いて頑張ろうと思えます。
乗り越える力をいただけます。
このままでも大丈夫だよ、って背中を撫でていただけて
励まされ元気をもらい前に進む気力がわいてきます。
本当に感謝、感謝です。


そして今日もまた 日舞の先生に諭していただけました。

「人に求めるのではないのですよ。
 自分自身に求めるのです。
 自分のやるべきことを淡々とやるのです。
 それでいいのですよ。」

  「初志貫徹です。」

求めるものは 自分の中に。

なかなか成長できない私ですが
誇りを持ってがんばります。

ホームページもあと1ヶ月半で3周年です。
みなさま いつも本当にありがとうございます。

(2006.02.28)

ここにいられるだけで

〜 ここにいられるだけで 〜
私たちは毎日一生懸命生きているつもりなのですが
何かと落ち込むこともあり 自分に自信を失くしてしまうこともよくあります。
なかなか自分自身を好きでいられることは難しいような気がします。

いつも日舞のお稽古の度に 先生に色んな話をしていただけます。
先日の日舞のお稽古の日も 私は日舞の先生に こうお尋ねしてしまいました。

「先生、私は自分では一生懸命のつもりなのですが、私には何かが足りないようです。
 何が足りないのでしょう。それがわからないのです。」
すると先生は穏やかに微笑まれ こうおっしゃいました。

「何が足りない・・のではないのですよ。」

間を置いてまた穏やかにひとこと。

「すべて不足しているのです。」

「・・・・あぁ!!」言葉を失いました。
そうだったんだ。その通りです。
何をいきがっていたのでしょう。

そして言われました。
「自分が自分が・・という気持ちになっているのです。
 ここにいられるだけで感謝なのですよ。感謝しましょう。」と。

本当に胸がいっぱいになりました。
ここにいられるだけで 本当に幸せなのです。

いつもいつも大切なものは「心」だと自分に言い聞かせながらも
自分を見失っている自分がいます。
いつも自分を引いて 感謝する心で過したい。
あらためて思う 身の引き締まる12月の朝です。

ここにいさせてくださって 本当にありがとうございます。

(2005.12.01)

ずっと変わらずにこの場所で

〜 ずっと変わらずにこの場所で 〜

おかげさまで私のこのホームページも3周年を迎えることができました。
一年目はあっという間のようで 実は本当に色々な試練がありました。
何度も挫折しそうになりました。
けれどそんな状況だったからこそ
たくさんの人に支えていただいていることを実感しました。 
自分の無力さも痛感しましたし 心から感謝する気持が持てました。

2年目は ただただ うれしいだけで走って来たような気がします。
あっという間の一年でした。
夢中で走っていたら一年が過ぎていたという感じです。

日舞の先生が色んなことを私に話してくださいます。
『石の上にも三年』という言葉がありますが
物事に慣れるのに 三年、かかるそうです。
「慣れる、という文字を見てごらんなさい。
 慣れるということは いつも心がまっすぐにちゃんと立つということなのです。」と。
そう言われてはっとしました。
どこか意味を取り違えている自分がいたことをとても恥ずかしく想いました。
まっすぐにきちんと立てていなければ慣れたとはいえないのです。
簡単なようで実はとても難しいような気がしています。

まだ私のホームページはたったの2年です。
夢もなかなか形になるものではありません。
まだまだ果てしない道の途中です。

けれど夢をもって
夢に向かって行動していればいつかは夢も叶うと信じたいです。
好きなものを好きと 叫ぶことの出来る喜びをかみしめます。
せめてこの想いが まっすぐに届きますように。

そして 私はずっと変わらずにここにいます、
そう伝えたいです。

ずっとずっと変わらずに夢を叫び続けたい。

いつも「のりえの部屋」を訪れてくださるみなさま
支えてくださって
本当に 本当にありがとう。

おかげさまで3年目に突入します。
どうぞこれからも末永くよろしくお願いします。 
  (2005.4.17)

心からのありがとう

 〜 心からのありがとう 〜

おかげさまで私のこのホームページも2周年を迎えることができました。
たったの一年ですが どうしようもなくうれしい気持ちでいっぱいです。
本当に色々なことがありました。こうして一年続けてこれたことが本当に本当にうれしい。

この一年、何年分もの経験がありました。
越えられそうにないと、挫折しそうな場面もたくさんありました。
今思えば それは全て私にとって必要なことだったのだと思います。

そしていろいろなことを乗り越えて
今日こうして私のホームページも一歳のお誕生日を迎えることができました。
感謝の気持ちでいっぱいです。

自分の弱さもたくさん思い知らされました。自分一人では何もできないことも痛感し
ました。
落ち込むこともたくさんありました。
けれど こうしてここにいられる喜び!!この胸にあふれています。
たくさんの人に支えていただいて 今の自分があります。
何よりそのことがうれしくて幸せで胸がいっぱいです。
みなさま 本当に本当にありがとうございます!!

そしてまた今日からまた第一歩を踏み出したいと思います。
最初の一年はみなさまから温かい心をいただくばかりで
なにもお返しすることもできずに来てしまいました。

またこの一年 私には叫ぶことしか出来ませんが初心を忘れずにがんばります。
そして支えてくださったみなさまへいつかご恩返ししたい気持ちでいっぱいです。
ありきたりのことしか書けませんが 感謝の気持ちでいっぱいです。

この胸にはいつも夢がいっぱい!そして愛もいっぱい。
今のうれしい気持ちを大切にします。

みなさま、心からありがとう。
続けることが何よりの目標です。どうかこれからも末永くよろしくお願いします。
  (2004.4.17)

人との出逢いの中で

〜 人との出逢いの中で 〜
私は 人と接する仕事をしています。毎日たくさんの人と出逢えます。
この仕事が好きなのです。好きな仕事だから頑張れます。
きっと「人」が好きだから この仕事が好きなのだろうと自分でも思います。

若い頃は勢いだけで走れました。何をしても 若いというだけでちやほやされる時代もありました。
けれど 若いだけでなんでも許される時代は あっという間にすぎてしまいます。
年を重ねるごとに 何で勝負したらいいのか、と わからなくなって迷う時が誰でもきっとあると思います。

そんな時に 人との素敵な出逢いは 自分を救ってくれます。
自分より年上で 素敵な人と出逢うと 本当にうれしくなってしまいます。
いったいどうしたらこんなに素敵に年を重ねることができるのか、と そばで観察したくなります。
人生の先輩の言葉は とても深く心に届きます。色々と 話を聞かせてもらうのが私は大好きです。

毎日の仕事の中でも 自分より年上で 素敵な女性に出逢えると とてもうれしいものです。
どうしても まずは見た目から入ってしまいますが 別によそいきの服を着ていなくても
とても素敵だと思える女性はたくさんいます。笑顔がきれいで 表情が豊かな女性です。
最近 つくづく思うのですが 年を重ねるごとに 女性は品がなくては、と 思うのです。
品のある女性は とても口元がきれいです。口元のきれいな女性は とても魅力的です。
そして きれいな言葉を話すということも とても大切だと感じています。

毎年誕生日を迎えるたびに 一つづつ 年を減らしていけたらどんなにかいいだろう、と
前は思っていました。年をとることがこわかったからです。
けれど 素敵な人生の先輩に出逢えてから そんなことも思わなくなりました。

「一日でも自分より早く生まれた人は 人生の先輩なのですから尊敬しましょう。」と
日舞の先生からも教えていただきました。
何歳になっても 柔軟で 人からたくさんのことを吸収できる自分でありたいと思います。
(2003.6.23)

変わる素晴らしさ、変わらない素晴らしさ


ホームページの めっせーじに書いた記事を
こちらにまとめることにいたしました。
****************

〜 変わる素晴らしさ、変わらない素晴らしさ 〜
人はみな いやでも年を取っていきます。 
いつも成長していたいと願いますが、何が成長できているのか よくわかりません。
何か 進歩を実感できればと 新しいことにも挑戦しますが
たいてい途中で「こんなものだ もういいや」、と妙に満足して 放りだしてしまいます。
ある時 そんな風に何に対してもテキトウに向かい合ってきた自分に気がつきショックでした。
続ける力のない自分自身に気がついたのです。
なんとかして こんな自分を変えたい、って思いました。
一生続けられることを私なりに考えました。
そして、 昔やっていた日本舞踊をもう一度やってみようと思い 始めてから4年目になります。

何でも一つのことを極めた人の存在はとても大きく、話される言葉の一つ一つにとても重みがあります。
最初の頃は 何を話されても もう涙が出て止まりませんでした。
何を言われてもなぜか涙が出てしまうんです。恥ずかしいと思いつつも そんな状態でした。
あるときお師匠さんに子供のことで愚痴をこぼしたことがあります。
「先生 子供が自分の思うようにならず苦労しています。どう子育てしたらよろしいでしょうか。」
そうしたら こう言われました。
「あなただって 自分の身体ひとつ 自分の思うように動かせていないじゃないですか。
なのにどうして あなたの息子さんたちが あなたの思うようになりましょうか。」と。
本当にあの時の言葉は決して忘れられません。

最近になって 少しだけわかってきたことがあります。
継続は力なり、と言いますが 本当にそうだと思います。貫く力を私は持ちたい。
一度決めたら 心は変えない。続けることが大切だと。
ずっと変わらない想いが
自分を、そして すべてのことを変えていく 力のもとになるのではないかと
しみじみと思う今日この頃です。
(2003.5.23)
Profile

のりえ

大切なことを
学び続ける人生にします。
「日々是精進」
sinse 2006.1.12

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